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日々の破片

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2019-01-05

_ 第七の十字架を読了

先月あたりに買った第七の十字架を読了。三が日中と思ったが、そうはいかなかった(上巻がきつくて思いのほか時間がかかったが、下巻は登場人物が絞られて焦点がはっきりするのでサスペンスが持続した状態で読めたのであっという間だった)。

1940年代にアメリカ人の必読書となり(ヨーロッパ戦線に送られる兵士にドイツの事情を知るための資料として配布されたらしい)ジンネマンによって映画化もされているが、なるほど1930年代のドイツとはこういうものだったのだなと考えるのだが、それだけではなく1950年代のアメリカや、なぜ今復刊されたかとか、いろいろ考えごとのネタに尽きない傑作だった。

物語の骨格は強制収容所(KZと略される)から脱走した7人の男たちのうち、特に30代の元自動車修理工の逃亡劇で、確かにそういう惹句が表紙に書いてあり、そのつもりで読み始めたら相当違った。

まず、強制収容所が1940年代の強制収容所(解説を読むと区別させるために絶滅収容所としてある)と異なり、基本は暴力による思想改造のための強制収容所で、収容されているのは思想犯と粗暴犯で、共産党幹部や反骨の人以外は1週間程度の暴力の嵐の後に解放される収容所だった。逆に言えば、だからこそ脱走もできる道理だ。

話は7人もの大量脱走を発生させ、かつ一人は取り逃したのが原因で更迭された所長の後任が収容所に着任し、前任者が作った7つの十字架を撤去するところから始まる。

しかしすぐに、共産党シンパ(というよりも社民系のような感じだが)フランツという男の郷里での生活にフォーカスされ、そこに暮らす人々の人間模様となる。そのほうが生活が容易なのでSAに入った親類、本気でSSにかぶれて思想改造が終わった若者(この本で恐るべきは登場する10代の若者はほぼすべて本気のナチなところだ)、暴力衝動の趣味と実益でSA生活を謳歌する中年、生活に追われている人、すべて無関係に犬と暮らす羊飼い(イケメンであり、超越者的な立場と振る舞いから女性関係が大変なことになっている)、古き良きドイツの生き残り、仮面をかぶった抵抗者、ゲシュタポのスパイ、そういった人々が普通に暮らしている。

厄介なのは苗字名前が入り乱れて呼ばれる上に、ハイスラー、ボイトラー、フュルグラーベ、ファーレンベルク、ブンゼン、フィッシャー、フランツ、ハンス、ヘルマン、フィードラー、フリッツとハ行の名前が次々と出てくるので、時と場所とコンテキストを押さえて読まないとすぐに誰が誰か見失うことだ(というわけで、上巻を読むのに時間がかかった。幸いなことに、訳者がまえがきで主要登場人物の列挙をしてくれているので最初のうちは首っ引きだった)。

物語は時制こそほぼ一直線だが、そこかしこに過去がモンタージュされ、空間が同時発生的に複数の主人公間を行き来するので、厚みがものすごい。

逆に、その厚みがヨーロッパ戦線へ従軍するアメリカ兵の必読書となった道理でもあり、確かに各種の立場の人々の思考と行動様式が明確に浮き彫りにされている。この作家はすさまじい力量だ。

顔が変形して固着するほど暴力に合ったために(さらに、多分、ワイルド7のエビフライという飛葉がかけれあれる拷問器具を思い出したが、中腰で膝を曲げた状態で固定する拷問が日常茶飯だったことがうかがえるのは、背が低くなっている描写からうかがえるし、十字架も一つだけわざと中心を低く作って所長が捕縛されてくることを楽しみにするシーンでもわかる)、最初のうちはうまく追撃をかわしたりするのが、恐怖のリアリズムだ。

収容所の暴力がひどすぎるため、ゲシュタポから派遣された二人の警部の徹底的に合理的な心理戦による取調方針がきわめてまともに見える。そのため登場人物の中でも、ゲシュタポのこの二人については相当好意的に読めるのがちょっと不思議だった。(ゲシュタポによる取り調べにおける殴打禁止令に苛立った所長が十字架を作る(手を釘で打ち付けて放置するのは殴打ではないと言い張る)くだりは凄まじい)

敵側として書かれているにもかかわらず、所長の一の子分の没落した農民のツィリヒ(これまた拷問の名手とされていて実に効果的に自供させたいことを自供させる)の心理描写も巧妙で、まあ、しょうがないよなぁと考えてしまうところがなくもない。

それは比較的すべてに共通していて、転向者だろうが、脱走者の一人を罠にかけてKZに送り込んだ文句なく悪党であるところの政治家だろうが、なぜそう考えてそう行動したかが理解できるために、単純にナチと切り捨てることはできないようになっている。フェアな作者だ。もちろんフェアプレーには早過ぎて、亡命先のメキシコから西ドイツではなく東ドイツに帰還することになる(というか、ブレヒトも同様な事情だったとは知らなかったが、下巻の解説は赤狩りが知識人を強制的に西ではなく東に送り込んだことがわかってちょっと驚いたが、分析的に考えればそれはそうだな)。

それにしても、おもしろいのは、工員のうち中流の労働者と全層の農民がナチの経済政策の恩恵によって、穏健なナチ支持となっている世相をうまく書いていることだ(主人公を助けることになる工員も基本はナチの支持者にみえるが、友情は別という扱いとなっているし、同じようにナチシンパではないものの超保守的なかっての義理の父親である室内装飾家(左官、ペンキ屋、小間大工のドイツ版というところかな)の国家に歯向かうことは考えるまでもなくノンだが、目の前で意味なく死刑にされそうな人間は助けるのが筋と考えるところとか、いろいろある)。持続的に経済が良い状態ではなく、極めて悪い状態から急速に経済を良くすることができると、本来の問題は棚上げにして国家が決めた敵を敵として国民を説得しやすくなる(急速に経済を良くするために国民の団結を求めるために敵を用意することでも同じことだ)ため、インテリ、ユダヤ人、社民から共産までの民主主義者が憎悪の対象となっている状況がわかりやすい(30年代なので、まだユダヤ人は絶滅収容所には送られていず、周囲から憎悪されながらも生活をしている。が、瞬間的に出てくるヒポクラテスの教えの信奉者らしきまじめな医者の運命はきわめて危うい様子が見える)。マルクスが書いたプチブル観に基づく作劇なのか? いや、実情なのだろう。ファシズムがファシズムとして成立した状況が見える。

第七の十字架(上) (岩波文庫)(アンナ・ゼーガース)

なぜ、岩波が突然復刻したか、わからないでもない作品だった。


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