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日々の破片

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2018-08-05

_ 低音フルートを愛でる

@nobsunから久々に連絡が来たと思ったら、低音フルートのコンサートをやるから良ければ来ませんか? というお誘いだった。

低音フルートってなんだ? と考えてみて、フルートのさらに高音がピッコロになるわけだから、その逆でオーボエみたいな太くて長いフルートで、かつフルートと呼ぶ限りは横笛なんだろうと演奏している光景を想像してみると、謎過ぎる。

というわけで、この目で見て聴いてみようと、妻と一緒に文京シビックホールに行くことにした。

舞台の上にとU字型に曲げた(なるほど長さが取れる)フルートのようなものや、立てて使う4みたいな形(横棒の部分があるので横笛的に吹ける)をしたフルートなのだろうと思われるものとか奇妙な管が林立していて、おーそういうことでしたかと納得する。

配られたプログラムを見ると裏表紙に、三響フルートとか古田土フルートとか(管楽器やらないから初見だが)低音フルートを作っている会社の広告が出ていて、なるほど、こういう世界もあるのだなと納得したり。で、それよりも、ぴかぴか棒'sというフルートの掃除用の布がおもしろい。ボウズなんだなとあとで知ったが、よくみるとTaku musicと書いてあって、指揮者のフルート奏者が多久潤一郎という名前なので、おもしろい副業だなと思ったり(退屈な掃除時間が楽しいひと時へ、とコピーが書いてあるので、プロだけに掃除もふつうよりもたくさんしているだろうから、掃除しているときになんかもう少しおもしろくならんだろうか、とか余計なこと考えて考え付いたのだろうかとか。おれは余計なこと考えて全然違う結論に達する人が好きなので気に入ったわけだな)。

プログラムを見ると(多分、その前に誘われたときに見たWebサイトにも書いてあったとは思うが意識しなかった)低音フルートを愛でる団とか書いてあってラムダ計算騎士団だか算法騎士団だかとのりが似た名前だなと思ったりしたが(そのくらい「団」という言葉の響きが特徴的なんだな、おれにとっては)、特に関係あるわけではないだろうなぁ。

始まるとやたらと芸達者な指揮者が登場してぺらぺら漫談しながら振り始める。

それから1曲目のモーツァルトが始まると、曲はつまらないが、音が無茶苦茶おもしろいではないか。

ピッコロやフルートはわりと鋭い音なので気づかなかったが、全然アタッカ(と呼ぶのかどうのか知らんけど、エンベロープの左端で最初のピークになるところだと想像する)がない(構造上、強く最初に吹くよりも平坦に持続させる必要があるからだと想像する、というか吹いたことないので全部が想像となるわけだが)ので、芯となる音がほとんど目立たずに(とすると、おれが音の芯として捉えているものは、実は単なる減衰する過程なのかな? それによって分離するから芯として捉えてしまうのかも知れないが、減衰せずに続くわけだから芯を感じないのかも知れない)ボーボー響くわけだが、その響きがとてつもなく複雑だ。おそらく、管の太さと長さから、反射回数が多いために、倍音成分がとてつもなく多いからだろう。

しかも数が4~50本くらいあるので、どえらく響き渡る(が、音量が大きいわけではない)。

おもしろい。ここまでとは想像してなかった。特に上のほうでもわーんと群れるような音がするのが抜群だ。

2曲目はサティのお前をちょーだいで、これは曲自体を良く知っている(というか弾けるし)ので、どうアレンジしたかとか含めて聴けるわけだが、なるほどそう来るのかの連続。特にシンコペーションで入るところとか、スリリングですらある。

しかも響きに誤魔化されるが、フルートはフルート(後で調べたら運指はふつうのフルートと同じらしい)なので速いパッサージュはふつうに速くて、その意外性にしびれる。

おもしろいなぁ。

3曲めはスパークという人のイーナの歌という聞いたことがない曲だが、指揮者によれば、(忘れた……(追記)ユーフォニアムと備前さんに教えてもらったが、チューバの一種なのか。全然違う楽器を想像していた)という楽器用の曲で(フルート奏者でもあるので)フルート用にして演奏したかったが音域が合わない、でもバスフルートの音域と等しいのでバスフルートのソロとしたというようなことが説明された。

これはなんだろう? 1曲目が響き重視、2曲目がリズムが作れることの説明だとすると、旋律楽器としての提示となるのかな。

・アルトフルート(腕の短い人用にU字型もあるが基本は直線)が普通のバイオリンの音域で、バスフルート(U字型というか、Uの1端が長いから、スティック飴みたいな形だからJのほうが正しいかな?)がヴィオラの音域で、コントラバスフルートが(説明ないが、意味的にチェロの音域となるのだろうか? これが4の形)

で、速いパッサージュの意外性を生かそうとしたのか、4曲目にファリャの火祭りの踊り(これ曲は知っていたが物語は知らなかったわけだが、指揮者の説明によって、亡き夫を呼び出すために火の周りを踊り狂うと、あの世から夫が召喚されて、一緒にさらに踊り狂うというコンテキストらしい。すごい話だな)。さすがに響きには慣れてきたので、演奏する人の指の動きとか指揮者の足元(なんか実にフォトジェニックな指揮をするので、つくづく芸達者な人だなぁと感服した。クラシック音楽で身を立てるにはなんかとてつもなく多芸な必要がありそうだ)。

で、1部が終わり、休憩のあとに2部。

なんか仮装大会みたいな雰囲気となり、とどめにコンプレッサーがシューシューやたらとうるさい馬をつけて指揮者が出て来て1曲やった時点で馬が邪魔だといって外しに行ったり、いろいろ。

スパイ音楽メドレーでは、ミッションインポッシブル3で、誰も寝てはならぬのところで、バスフルートにライフルを仕込んだ暗殺者が出てくるが、そんな楽器はオーケストラにはいないから、最初からばれるというような話が出る。

それにしてもおもしろかった(妻によれば、なんかカラオケの伴奏に良い感じの音だと思ったら、指揮者が歌い出したので、そうですよね、と同意したとか)。

で、帰ってからあらためてバスフルートとかを調べると、意外と20世紀初頭には作られていて、ザンドナーイがフランチェスカダリミニで使ったとか書いてあって、すさまじくおもしろい。

もちろん、ザンドナーイはプッチーニの弟子で、本来トゥランドットの完成稿の指名者なのだが、遺族の反対で取り下げられた(で、トスカニーニが憤激して途中で指揮をやめて帰ってしまうとか、いろいろエピソードが続く)わけだが、ミッションインポッシブルの世界線では、ザンドナーイが無事に完成させて、ついでに既存部分のオーケストレーションもいじくって(先生がご存命中にはバスフルートを想定できなかっただけで、今ならば、きっと採用すると言い張るとか)、当然のように、バスフルートが出て来ても何もおかしくないってとこまで織り込んだシナリオなのかもとか想像したり。

実に楽しかった。


2018-08-21

_ 医者の常識と赤ちゃん突然死

Factfullnessをちまちまと通勤中に読んでいてやっと半分まで来た。(途中で他の本を読んだりしているので、さすがに額面通りの速度ではない)

現実の数字と印象の数字を比較して、正しく世界を認識するための方法論を提示するという実に興味深いし、かつおもしろい本なのだが、一般化に注意せよという項を読んでいて、以前引っかかった記憶が思い出されたのでメモ。

最終的に60000の生命というコストを払うことになった一般化の罠に、自分もはまっていたときのことを書いている。

1974年に筆者がショッピングセンターに行くと、ベビーカーに赤ちゃんを入れた母親が一心不乱にパンを選んでいるところに出くわす。赤ちゃんは仰向けに寝ていた。その瞬間、習ったばかりの知識から筆者は赤ちゃんを抱きあげると(筆者は医師なのだ)うつぶせに寝かせて、仰天する母親に説教を垂れる。仰向けに寝かせると吐瀉物によって窒息する危険があるのだ!

これは第2次世界大戦と朝鮮戦争から得られた教訓で、負傷兵を仰向けに寝かせておくと吐瀉物で窒息する率が圧倒的に高まることから1960年代の主流の考えだったと説明している。実際、これ自体は正しく、2015年のネパール地震のときも多数の生命を救うことになった知見だ。

が、問題は一般化の誤りにあった。赤ちゃんは仮に吐瀉物が喉につまりかけたとしても、もし仰向けであれば横を向くことで窒息を自分で回避できる(昏睡状態の大人とはそこが異なる)。ところが頭が重いため、うつぶせの場合は他の姿勢に変わることができず、突然死の原因となることが、1985年に香港のグループによって確認された(ただし、うつぶせ寝の危険性の理由が完全に解明されたわけではない)。

いずれにしても、赤ん坊をうつぶせに寝かせることは突然死を招くという点から、仰向けに寝かせるよりも遥かに危険だと今ではされている。昏睡状態の大人への対応を当てはめてしまったことが、一般化の問題だ。

Factfulness: Ten Reasons We're Wrong About The World - And Why Things Are Better Than You Think LONGLISTED FOR THE FT/McKINSEY BUSINESS BOOK OF THE YEAR AWARD (English Edition)(Hans Rosling/Ola Rosling/Anna Rosling Rönnlund)

20世紀の末のころ、妻がNifty-Serveの子育ての掲示板を良く眺めているのを、横から見ることがあった。

そこに良く目立つ医者を名乗る男(と思われる名前)の書き込みがあり、なにかというと「医者の常識では」で文章を始めては何か説教を書いていて、一読するだけで二流の人物と判断せざるを得なかった。とにかく、「医者の常識」という言葉に強い引っかかりを覚えたからだ。(怪我の場合の消毒について古臭いことを書いていたので、こいつはだめだな、と考えたのかも知れない)

医学の領域の結構大きな範囲は、観察によって得られた知見を元にしているはずだ。であれば、上でFactfullnessの著者が書いているような汎化→特化のフィルタリング前の誤った知見などが当然あり、それらは新たな知見により絶えず刷新する必要がある。したがって「常識」などという概念が入り込む余地はない。あるのは「現時点の研究によれば」という特定時点での知恵の断面だ。

そういった、常識を振り回す医者に限らず、20世紀には低コスト化した工場での薬品製造(薬害エイズ禍が代表)や、MRとの癒着による大量処方など、医療従事者による問題が目立った。

目立ったのはFactfullnessから考えれば、それが異常だから大きく報道されるから目立つのであって、大多数については無問題ということだったわけだが(もっとも、赤ちゃんの寝かせ方や傷口の消毒や火傷治療のような広範囲に長いこと誤った前提がコンセンサスだったものもあるだろう)、今になってみれば、大きな禍根となっているのは、未だに反ワクチンや代替医療推しが一定の支持を集めることになったことだな(医者の常識を疑うという常識による、一般化の罠だ)。


2018-08-22

_ 時計の針を巻き戻さない少子化対策

Factfullnessのちょうど50%あたりが無茶苦茶おもしろい。

世界は常に変わるということについての論考となるのだが、宗教の違いや文化の違いがどれだけ大きいか、を示す。

ムスリム、クリスチャン、その他の3種に人類を分割する。

そして例によって、極貧(Level1)から裕福(Level4)までに国家を4種に分割する。日本や西側諸国はレベル4、アジアは全体としてレベル3(一部2)、アフリカは大体レベル2というところだ。レベルのわかりやすい例は20%あたりで示されていた。レベル1:歯磨きはバケツの水と指。レベル2:1本の歯ブラシを家族全員で共有。レベル3:家族1人に1歯ブラシ。レベル4:高度な歯ブラシ(マシン)。(おれの家はレベル3っぽい)

そして1人の母親からの平均出生数と、それに属する人口を示す(バブルチャートって3次元なんだな)。

レベル1は多産で10人近い子供を産む(ほとんどの国がクリスチャン国になる)。

レベル2で5人以下、レベル3とレベル4は2~3人で全然変わらない。

宗教の違いはここにはないし、地域別な相違もない。

貧乏な国では赤ん坊の5歳までの生存率が低い。それが多産の原因であり、宗教も文化もそこには関係ない(個人の事情の話ではなく、人類というマクロ視点での観察だ)。

でも、と、筆者は個別事例に入り込む。

アジアは複雑だ。香港の女性金融パーソンと会食をしたときに、プライベートな話になった。子供は欲しくないんですか? すると彼女はこういった。子供は欲しいわねぇ、いつもそれは考えているの。でも、亭主はいらない。

そのほかの事例をいろいろあげて、どうもアジアは急速に進み過ぎたのかもしれないし、そういった矛盾というのはあり得るが、そうはいっても絶対的に行動を支配するのはレベルで、結局人類は文化でも人種でも宗教でもなく、家庭の収入レベル=国家の収入レベルによって生活様式が規定されている。それが数字から示される明らかな事実だ。

スェーデン(筆者の出身国)の120年前、つまりおれの爺さんのおやじの代では男はえばって家事は一切せず、避妊なんてもってのほか、娘が避妊について話したら汚らわしいと怒り出した。7人の子持ちだった。母親1人では面倒を見られないので長女が子守をさせられて、そのせいで学校へあまり通えなかった。つまりそのころはレベル2だったわけだ。でも、今ではそんなスェーデンもレベル4で、避妊は当然、中絶もOK、夫は妻と家族計画を話し、子供の数は2人くらいだ。

これは生徒に言うと驚かれるわけだが、1960年代、スェーデンでは中絶は違法だったから、中絶したい女性にはみんながカンパして、彼女をポーランドへ送り出したものだ。学生はみな愕然とする。ポーランド? そのころ、ポーランドは中絶を認めていて、かつ医療が進んでいた。今のポーランドはカソリック教国になってしまったから中絶は禁止されているようだが。

そうやってスェーデンはゆっくりとレベル4となり、女性の出生率は下がり、赤ん坊は死ななくなった。

とにかく120年前のおれの爺さんの親父の文化レベルがアジアでは共存しているのだろう。しかしそれも時間の問題に違いない。なぜなら、すでにレベル3であり4なのだから。


経済レベルと家族レベルを考えると、大家族制というのは明らかにレベル2に属する。1人頭の生産性が低いので、生活を維持するために多数の人間がチームを組む必要がある。(レベル1はそれ未満の状態で、多数の人間の確保自体が至難な状態だが、そもそもレベル1はすでに世界の10%を割り込むまでに減少している (20180825 最初4と間違えて書いていたので1へ修正))。

日本について考える。

1960年代にレベル3に入ったのは間違いない。したがってスェーデンと似ていると言える。核家族化可能だったのは、1人の収入で家族を養えるからで、逆に地方に残った人間も年金などの資産によって生活が可能となった(収入源である子供が都会へ出て行っても問題ない)。

したがって、自民党が夢想するような大家族制に戻すのは、さらにデフレを続けて相対的にレベル2まで生活水準を落とすことが必要となる。どれだけばかでもそんなことをするわけがない。

であれば、まだ見ぬレベル5へ突き進むしかない。

レベル3の生活水準をレベル4で維持するのは余裕だが、レベル4の生活水準を維持するために、現在の日本では生涯独身率が高まり、結果的に少子化となったと考えることができる。

その場合、考えるべきは、その経済水準に見合った家族像だ。

また、高いレベルは、女性の教育(ちなみに全世界の80%の女性が7年以上の教育を受けていて、これが2100年よりはるかに前に人口爆発が止まる根拠となっている)によっても支えられているし、女性の高学歴化は経済維持の原動力でもある(したがって、経済依存する必要がないため、ますます婚姻率が下がる)。

したがって、あり得る家族像というのは、経済的結びつきを必要としない関係だ。あまり良い言葉とは考えにくいが、そのとき、現状の合法的売春や子供をかすがいとする婚姻関係ではなくなる。それはそうで、ゲイの結婚というのがそもそもそれに近い。彼らは一足先に来るべきレベル5の家族関係のモデルを作っていると考えることが可能だ。

別の考え方をすると、遺伝子の呪いから解放された家族関係というものがあり得る姿で、でもそれは逆に獣に近く、おそらくネコがモデルになるのではなかろうか。母親は一定期間、周りの雌猫の力を借りて子供を育てる。子供はある時期になると出て行く。父親はどこかにいたり、ネコによっては付かず離れずで、なんかうろうろしている。血縁関係が(父親猫を含めて)失われたわけではないが、経済的に自立できている以上、あえて一緒にいる必要もない(いたければいても良い)。

経済的に自立した関係というのはこういったものになるだろう。したがって、子育てというのは、スパルタのように国家が収容して思想教育をするという形式でもなく、大家族でお互いの面倒を見るというレベル1や2の形式でもなく、ゆるい母親の集団(経済的なつながり)での育児(というのは、結局は保育園のようなものだ)に移る。

安心して子育てができ、婚姻に縛られることがなければ、出生率は適度な範囲に収まるのではなかろうか。

Factfulness: Ten Reasons We're Wrong About The World - And Why Things Are Better Than You Think LONGLISTED FOR THE FT/McKINSEY BUSINESS BOOK OF THE YEAR AWARD (English Edition)(Hans Rosling/Ola Rosling/Anna Rosling Rönnlund)

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ naruse [> したがって、自民党が夢想するような大家族制に戻すのは、さらにデフレを続けて相対的にレベル2まで生活水準を落とすこ..]

_ arton [sいや、政府はともかく自民党はまったく信用していないよ。でも重要なのは選挙民だからね。いくら愚民(小池や石原を喜んで..]


2018-08-25

_ 燃える平原

フアンルルフォの燃える平原読了。傑作だ。

20世紀中ごろのメキシコの作家なようだが、書かれているのは砂漠、照り付ける太陽、犬の遠吠え、山賊と政府軍、父子の確執、殺しと復讐だ。

ほとんどの話が主役に対して語り手が何かを語り始める。最初は生活の愚痴のようなのだが、だんだんと過酷な生活と暴力と殺人と復讐の話に転化していく。そして唐突に終わる。

最後のアナクレト・モローネスだけ、聖職者を名乗る女たらしと、その使徒の女たらしを巡る艶笑奇譚(とはいってもやはり殺しと照り付ける太陽が容赦なく存在する)で、えらくおもしろいのだが、物語としてはまったくおもしろくないルビーナという山地へ何か良いことをしに家族で移住してから逃げ出した男の独り語りがえらく印象的だ。

題名が圧倒的にかっこいい燃える平原は、反乱軍と政府軍の追跡劇。

まさに砂漠そのもののような殺伐しきった世界を殺伐と語っているので、同じように冷酷な風土での過酷な生活を描いていても、ヴェルガのヴェリズモが持つ湿地帯のなんか血の流れみたいな生々しさはほとんどなく、逆にそこがある種の爽快さがあるようだ(内容的には実に不快なことばかりではあるが)。

燃える平原 (岩波文庫)(フアン・ルルフォ/杉山 晃)

しかし、それにしてもメキシコとはまったくわからん国だ。

トロツキーの亡命を受け入れる社会主義国のようでありながら、軍閥割拠のファシズム国家のようであり、資本主義国なのかどうかもわからない。というか、そもそも工業が成立しているんだろうか?(20世紀半ばまでの話)

映画としてはブニュエルの作品を見ると、これまたさっぱりわからないわけだが、ナゼレに描かれていた砂漠と宗教と無関心と犯罪の世界とルルフォの作品世界は相当近く感じるが、これはレアリスムなんだろうか?

メキシコの革命というのは少なくとも共産主義革命ではないし、日本の維新とか中国の軍閥反乱みたいなものだったんだろうか? 少なくとも、メキシコ万歳に描かれていた革命は農民反乱みたいなものだったが。

メキシコ万歳 [DVD]


2018-08-26

_ フローレスのウェルテル

2017年チューリッヒでフローレスがタイトルロールを歌ったウェルテルを観た。指揮はマイスターというなんか修業時代にはさんざんからかわれそうな名前の人。

しかし、曲はやはり良いのだが、うっとおしいほど良い男がウェルテルを軽やかな美声で歌うのが違和感がありまくってあまり楽しめない。

演出は部屋だけを利用して、シャルロットのおやじの家(ノエルの合唱とか、友人たちのバッカス万歳などを思い出しながら見ている)、牧師館、シャルロッテの家の離れ(なのかな)、ウェルテルの部屋を示す。

最初の幕で、王冠を被ったシャルロットにインディアンの羽根飾り帽のウェルテルが酒場に出かけ、2幕では同じ王冠がアルベールからウェルテルに渡され、ウェルテルが置いたものをソフィが被り、それをウェルテルが外す。

4幕(3幕2場?)ではウェルテルの独白中に、王冠の老婆(2幕ではずっと椅子に腰かけている人)と羽根飾り帽の老人がダンスを踊る。

演出はそういう意味では過度に説明的だが、それほど悪くはない。最後の場面でどんどん開けて星空が見えてくるのは素晴らしいし、2幕で残されたウェルテルが床を剥がして出て行き、アルベールが剥がされた床板から何かを拾い出すのも悪くない。ピストルをシャルロットがなかなか使者へ渡せず業を煮やしたアルベールが取り上げて渡すのだが、これはそういう脚本だったのか、それともそういう演出なのかどちらなのだろうか(ゲーテだとシャルロットが渡したような記憶があるけど)。

なんかオシアンの歌の最後はやけくそみたいに声を張り上げているように感じたが、どうもフローレスは後期以降のロマン派は合わないなぁと感じた。

なぜに目覚めさせるのかに関して言えば、現時点ではヴァルガスが一番気に入っている。

ラモン・ヴァルガス - オペラ・アリア集(Ramon Vargas - Opera Arias)(ラモン・ヴァルガス)


2018-08-28

_ BingスペルチェックAPIを試しているんだが……

Bing Spell Check APIで日本語もチェックできる(ただし、mode=spellのみ)というので試しているのだが、全然、わけがわからなくて閉口している。

次のようなクラスでテストしてみる。

# coding: utf-8
require 'net/http'
require 'uri'
require 'json'
  
class BingSpellChecker
  KEY1 = '登録して得られたキー'.freeze
  # マーケットはja-JP、言語はja、モードはspell(proofモードは対応していないので英語チェックになるらしい)
  URL = 'https://api.cognitive.microsoft.com/bing/v7.0/spellcheck?mkt=ja-JP&setLang=ja&mode=spell'.freeze
 
  @@uri = nil
 
  def initialize(logger = Rails.logger)
    @logger = logger
    unless @@uri
      @@uri = URI.parse(URL)
    end
  end
 
  def check(text)
@logger.debug @@uri.request_uri
    req = Net::HTTP::Post.new(@@uri.request_uri,
                              'Content-Type' => 'application/x-www-form-urlencoded',
                              'Ocp-Apim-Subscription-Key' => KEY1)
    req.set_form_data('text' => text)
    resp = Net::HTTP.start(@@uri.host, @@uri.port, use_ssl: @@uri.scheme == 'https') do |h|
      h.request(req)
    end
    # 最初mode=proofで試していたがまったく日本語は無視されているのでマーケットとして
    # 何を認識しているのか確認するためにレスポンスヘッダをログした名残
    resp.each_header do |nm, val|
      @logger.debug "#{nm}=#{val}"
    end
    r = JSON.parse(resp.body)
    @logger.debug JSON.pretty_generate(r)
    if resp.code == '200'
      []   # 実際は応答データを元に都合が良いStructのインスタンス配列にしているが省略
    else
      return resp.code
    end
  end
end

たとえば、次の文を送ると、まあ検出されるのだが嬉しくない。

にぽんごが間違えている。
結果のJSON:
{
  "_type": "SpellCheck",
  "flaggedTokens": [
    {
      "offset": 4,
      "token": "が間違えて",
      "type": "UnknownToken",
      "suggestions": [
        {
          "suggestion": "が 間違えて",
          "score": 1
        }
      ]
    }
  ],
  "correctionType": "High"
}

分かち書きしろと? というか「にぽんご」はOKなのかなぁ。

で、気を取り直して、もう少し長い文章にしてみる。

にぽんごむずかしい。そもそもにぽんごむつかしいから、にぽんごが間違えている。
結果のJSON:
{
  "_type": "SpellCheck",
  "flaggedTokens": [
  ]
}

OKになってしまった……というか試していると複文は何をしても(と言っても限界はあるが)OKとなる。そういうものなのか? 確かにサンプルは1文だしなぁ。

追記:どうも本当に1単語のスペルチェックみたいだ。「グローパル」でかけたら「グローバル」と出てきた……。カンマで区切ると複数単語も行ける(「デシプリン,風鈴火山」→「ディシプリン,風林火山」)が、使形態素解析して名詞だけ拾ってとかしないと使えないのか……

だんだん嫌になってきたが、「問題は、グローパル基準です。」は文だけどグローパルを正しく指摘するが、「問題は、グローパル基準にあります。」だと指摘されないとか、結局mode=proofがサポートされていない以上、正しく単語を抽出してチェックできない、ということみたいだ。将来に期待、かな(APIは使いやすいのでとても良いのだが残念)


2018-08-30

_ HIGH & LOW the movie

子供が、ズートピアを観て4DXに見切りをつけるには早過ぎる、HIGH & LOWを観ろと勧めるので豊洲に観に行った。

なんか乱闘シーンで背中がポコポコ子供の肩叩きみたいにされるのが心地よいのだが、そうではなく乱闘シーンやバイクで動き回るのに合わせて椅子がグイングインするのがミソっぽい。

やたらと登場人物がいるので(子供が予習しておけといってプログラムを渡したが、味方側が5グループで20人近く主要人物がいて、敵側が4~5グループで主要人物がこれまた20人近くいて、さらに別枠に2人と2人、とにかくやたらと人数が多くて面倒になってろくに読まないまま映画に突入したのだが、最初にえらくテンポが良い紙芝居で背景説明を数分でやられたのだが、色分けとスタイルできれいに分かれているので、敵側の外国人以外はほぼ把握できたので観ていてわけがわからなくなる(ほど人数ほどには物語は複雑ではない)ことはなかった。

映画としてはバストショット、顔アップ、ひいてバイクが勢ぞろい、乱闘始まりひいて背後から敵がうじゃうじゃわいてきて、またバストショット、ひいて殴り合い、顔アップ、引いて敵がうじゃうじゃの乱闘、またバストショットといった具合で別段おもしろくもなんともないのだが、テンポの良さと次々と出てくる顔が変わるので退屈することはほとんどなかった。アイドル映画というジャンルとしては割と良いものだったかもしれない。

映画のできがいまいちなのは、最後の少しずつ勢ぞろいしながら決戦の場に臨むまさに映画向けのシーンがテンポが悪くてまったくおもしろくない(高校生の村上くんのところにお笑いを入れているのは悪い趣向ではないとは思ったが)のが致命的な感じで、主要人物の頭数が多過ぎる弊害なのかな。もう少しどうにかならんものかとは思った(代わりに、特別枠の2人がバイクで乱入してくるところは横広画面をうまく使っていてなかなか良い感じだった)。

動きでは、なんかデスノートの探偵みたいな気持ち悪い目つきのやつ(というか、スモーキーと名前は覚えた)が圧倒的におもしろいのだが、途中で怪我して退場してしまった。

たまにはこういうのも悪くはないかも知れない。

・なんか色分けのうまさとやたらめったらと強いやつが敵になったり味方になったり入れ替わったりが、新宿スワンみたいだなとか感じた。


2018-08-31

_ 千葉旅行

千葉は埼玉(秩父困民党など民主主義発祥の地だったり北条生き残りの山城が大量にあったり猪俣党の町があったり百穴があったりむちゃくちゃ)や群馬(古墳の数は日本一)とならんで近くて遠い歴史的な秘境なので、会社を休んで妻と旅行。

今回は、佐倉へ行く。

頭の中ではなんとなく安房と下総の間と認識していたが、実際にナビゲーターにしたがって進むとびっくり、千葉市より少し内陸に入ったところ(四街道の先)で日本から距離にしてたかだか70km弱しかない。そんな近かったのか。

というわけで、日本のロビンフッド、義民佐倉惣五郎(宗吾)くらいしか知識を持たないまま佐倉へ向かった。

そんな近いと知らなかったので朝8:30くらいに出発したら9:30過ぎには着いてしまった。

_ 国立歴史民俗博物館

お目当ては城址にある国立歴史民俗博物館で、幸い9:30開館なのでちょうど良かった。

でかい。なんか故宮なみにでっかな建物で驚いた。銚子の新国立劇場の倉庫兼博物館みたいなもので、千葉だけにでっかな場所に倉庫を兼ねた博物館を作ったのかなとか考えながら長い石段を登って正面から入り、なぜかJAFの割引がある入場券を買う。特設展でおみやげというのをやっていたのでよくわからんが、それも付いた入場料を払う。

なんかヒグマの爪のお守りが売っている売店を横目に特設展の会場へ向かう(あとになって、常設展と同じ建物の地下とわかるのだが、入り口がまったく異なるのでどういう構造になっているのか思い返してもよくわからない。

_ おみやげ

おみやげは、近世、旅行に行った思い出のためというよりも、いろいろなところへ行ったということを周囲に誇ったり、センスの良いものを持ち帰ることで誇ったりするための、承認要求を満たすための仕組みである(という意味)の説明が最初にされている。

したがって、この展示は、そういった旅行者の自己顕示欲を満たすと同時に、そのような自己顕示欲をくすぐり、収集本能をくすぐりまくることで本来価値のないものを売りつけるための経済的メディアとしての役割を持つ観光地経済の中核となる機械の成立と発展、いかに持続させるかといった視点で作られている。さらにはいかに収集本能をくすぐるために同工異曲のおみやげが各地でなぜか作られる(ペナントとか、そういえば展示されていなかったが太い名所名をペイントした鉛筆とか昔買った覚えがあるとか、通行手形とか、絵葉書とか)。

と同時に、おみやげが個人収蔵される場合は旅行という非日常と生活という日常の間の呪術的空間を現出せしめるための霊物としての役割があり、それはおみやげ展示棚(そういえば、爺さん(2人いる)の家にはどちらもそういう棚があり、アフリカ土産やら中国土産やら東北土産やらが展示されていた)は、家族に対しての小博物館としての役割を果たす(なるほど、確かにおれはそれを観てカンプチアのアンコールトムのおもしろさや、ニューギニアの首狩り族などについて知ったのだった)ということが示される。

むちゃくちゃおもしろい!

これぞ国立の研究ですな。

と、展示場に足を踏み入れてたったの2m足らずの間にえらく脳みそが刺激されまくった。

とにかく、この博物館はふつうではない。結局、全体の2/3(そのうち2/3は早回し再生)しか見なかったが、5年分くらいの思考を使ったように思える。どえらく疲れたがおもしろかった。

(とりあえず何十回目かの反芻するのでまずはここまで)

_ 喫茶店の町としての佐倉

市役所のホームページ。

茶畑を作ることで地域経済を支えようとした人。

_ 城址

山の上に国立民族学博物館があり、そこが城址ということは位置的に山城に近い(が、江戸時代なのでふつうに天守閣を持つものだろう)のが不思議で、佐倉藩が官軍側だと書いた展示があったことから、外様だったので守りを重視したのかな? と思った。あとで調べたら、逆に東北から江戸へ攻めて来られた場合の要害としての機能が与えられた(むしろ老中輩出の藩というか堀田だし)からだとわかった。あと、天守閣は持たずに櫓を置いたとあって、どちらかというと機能的にも山城そのものに近かったようだ。

_ 武家屋敷

二つの薄暗い坂。

作りは意外なほど昭和の家屋と同じ(というか、昭和の家屋は武家屋敷がベースなのではないか)。廊下、障子、和室。廊下の突き当りに厠。風呂場と台所は近い。

_ 八幡の藪知らず

新八幡で停めてサンサールで飯を食うことにした。

八幡の藪知らずの本物(筒井康隆の小説の中のラップみたいな言葉の流れの中に出てきて子供のころから興味があった)を見物。びっくりするほど狭い。今はほとんど竹藪。というか、千葉街道はこれまで何度も往復していてすぐ脇を通っていたのに、これが八幡の藪知らずとは意識すらしていなかった。というくらいに小さな藪に過ぎない。

現在も立ち入り禁止。なぜ藪知らずなのかは諸説あるとか説明板がある。

ふつうに考えれば、ツツガムシの群生地なんじゃないかとか日本住血吸虫症持ちのタニシでもいるんじゃないか? と思うのだが。中は湿地帯だか沼だかだそうだし。いずれにしても謎のままに残しておくのはそれはそれでおもしろい。


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