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日々の破片

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2013-11-27

_ 東京の中の異国

東京駅に用事があって出かけた。いつもなら、そのままフォーラムのあたりから地上に出るか、八重洲口に出るかして、丸の内口そのもので地上に出ることはないのだが、その時は、なんとなく地上に出たのだった。

時刻は18:30頃。

そうしたら、そこは東京ではなかった。

東京ではないので、ここは東京ではないなぁと呟くと、xibbarさんから東京とはなんだ? というようなツッコミが入ったので考えてみる。

東京は東京なのだから、なぜ、東京駅丸の内口の地上18:30が東京ではないのかを考える。

すると、3つの特徴がわかった。

まず、暗い。そんなの311以降どこでもそうじゃんという声がするが、それは間違っている。東京駅丸の内口地上11月末18:30は圧倒的に暗い。

次に、人がいない。いや、信号待ちをしている人間もいればタクシーも並んでいるではないかと思うが、東京駅丸の内口地上11月末18:30は全然人影がない。それは車道の広さとそれと同等以上の歩道の広さとその上の車と人間の密度の問題だ。

そして美しい。東京は世界でも類を見ないほど美しい街だが、それはおもちゃ箱をひっくり返した上にペンキの棚をひっくり返して、さらにその上から煤をぶちまけたところにバースデーケーキを叩きつけたらアリがわらわらと群がって来たことで生まれる美しさだが、東京駅丸の内口地上11月末18:30は整然とした美しさだ。整然とした美しさに人間は不要だ。人間が存在しない11月末の18:30は暗くて当然だ。したがって、東京駅丸の内口地上11月末18:30は自然に美しく、自然な美しさは東京の美しさとは正反対のものだ。

なるほど、確かに、東京駅丸の内口地上11月末18:30は東京ではない。

他にこういう美しい非東京を観られるのは数か所しかない。代表的なのは竹橋の美術館の薄暗がり時から半蔵門までの間だ。片方の歩道からもう片方の歩道までの幅とその上にいる自動車と歩行者の密度が低く、そして薄暗い。

道路以上の共通点がある。圧倒的なレンガ(調)の建物の存在だ。

おれの眼が覚えている光景で巨大なレンガの建物があり、夕暮れ過ぎると暗く、そして人影がない広々とした道路、しかし建物内の人口密度が高い都市の光景は、モスクワ(ブレジネフ時代の末期)で、それはとてつもなく美しかった。

竹橋のモスクワは郊外の帝政ロシアの面影が残る非東京の風景だが、東京駅丸の内口のモスクワはブレジネフ時代のロシアそのものの非東京の風景だった。


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