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日々の破片

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2013-07-15

_ 助産婦さんの現代史

妻が図書館から借りた本がなかなか興味深くて、大体読んだ。

遊廓の産院から ---産婆50年、昭和を生き抜いて (河出文庫)(井上 理津子)

1955年生まれの女性が、1989年に助産院で出産し、その時の助産婦さん(1918年生まれ)をすっかり気に入り、取材を申し込み聞き書きして生まれた本らしい。

この助産婦さんが、以前読んだ、イギリスの女中さんに負けず劣らず、生活が意識的(なのである時点についてのディテールの再現性が高い、少なくとも説得力がある)で、(おそらく著者がそこまで意図したかどうかは別として)ある観点からの現代史となっていて(章立てが助産婦さんの一生となっているので、否応なく歴史となる)、実におもしろい。

ただし、語られる個々のエピソードのまとめ方の問題なのか、それとも著者の意図が主人公の助産婦さんの人間性の豊かさの表現にあるのか、正直まったく興味が持てないエピソードとほーなるほどと蒙を啓かれる思いのエピソードがごちゃごちゃに入っていて、必ずしも通読したくなる本でもなかった(なので、読み飛ばした箇所もたくさんあって、そういう箇所に実はえらくおもしろいものが見つかる可能性もあるとは思う)。

たとえば、産婆が助産婦に変わったのは昭和23年の産婆規則の改定らしいのだが、その前後など実に興味深い。興味深いのだが、エピソードが時代を越えて飛び回るので読みやすくはない。

昭和2年に大日本産婆会(大が付くのが戦前っぽい)が設立されたのが、GHQの看護課によって、看護婦、保健婦、産婆を統合しようとして設立した日本産婆看護婦保健婦協会に統合された。

でもこれはおかしな話だ。まず、産婆を英訳するとmidwifeとなる。midwifeの作業は医者の手伝いだ。したがって、看護婦と同様の資格としなければならない。というのがGHQ側の考えらしいが、ここがおかしい。産婆には技術も知識もある(語り手は元々看護婦だったのがお産婆学校を卒業して産婆になった、という時点で看護婦とはちょっと同列ではないというのは最初から読んでいるとわかる)。なぜ、政府(GHQではなく日本側)の役人は生まれたときは産婆の力を借りているのに、ここぞという時に、産婆の役に立たないのか?

そういえば、取り上げ婆さん(産婆より前の時代の人)を産婆の資格を与えるために実施された試験(時代は昭和初頭だろう)はひどかったと聞く。読み書きのできない人が多いので口頭試問で「お産が長引き、難産になったらどうしますか?」と質問すると、一番多かった回答が「お宮さんのお札を枕元へ置く」だった。

というわけで、結局、産婆会は離脱することになった。

助産婦という名称について、確かに自分は技術者なのだから、お産させる婆さんじゃなくてお産を助ける婦人ですな、と得心した。でもなかなか助産婦さんとは呼んでもらえないものだ。

実際にはもう少しつながり良く書いているのだが、それだけに時間軸に沿った動きよりも、話し手の思いついた流れにしたがっていて、漫然と読むには良いのだが、微妙な読みにくさは感じる。

とは言っても、戦後になったのでベビーブームですさまじく儲かって嬉しくてたまらなくなる。

その一方で、1948年に優性保護法(ここ、あっさり書かれているが、アメリカ本国でも原理主義者が原因で施行できない州があったりするはずが、おそらくGHQが認めさせたのだろうな、というのと同時に、ママードゥユーリメンバーな状態に対するエクスキューズとしてGHQが認めさせたのだろうな、とかいろいろ考えられる)によって中絶が認められるようになったので、なかなか恐ろしい会話が聞こえるようになって来たりするようになる。

そして1953年の国策避妊が始まる。

役所が助産婦を集めて、避妊の講習をする。

最初は役人言葉を使って、国策に沿って避妊教育をしろ、と一方的に告げられる。

なんのこっちゃ、自分のクビを絞めるアホウがどこにおるんや? (大阪の人なので会話になると大阪語で記述されたりする)と、集まった助産婦さんが怒号と野次を飛ばす。

すると役人が、役所言葉ではなく、大阪語で、実にけったいなことやけど、これもお国のためなのや(1950年代初頭の国力では、8000万人しか支えられなかったらしい)そこはかんにんや、とか言い出すと、それもそやなと納得するとか、人口問題、説得に使う言葉の問題、経済問題が翻然一体となっていてなかなか興味深く、さらにその後に続くペッサリーの人体を使った指導とか、1950年代とはそういう時代だったのだな、と興味は続く。意外なことに、この時の避妊講習によって、出産についての技術も知識もある助産婦が、実は妊娠のメカニズムについてはまったく無知だったと知るというのも興味深い。おまけのエピソードとして、自分でもペッサリーを試したが、なるほどなかなかうまい仕組みだわいと思ったが、もう一人子供が欲しいし、面倒なのでその1回しか使わなかったと続く。

まもなく、病院の時代がやって来る。1955年、もはや戦後ではないぞ。

助産婦はこのまま先細りか。

ところが、1978年、ラマーズ法上陸。ひとりひとりのお産の時代が到来だ。助産婦復活。

この流れから見えるのは、とにかく主人公の女性が、典型的な大正-昭和初期の職業婦人そのものだということだ。

まず、開明的。したがって、それが良いとなれば、そちらを取る。ラマーズ法が日本に来たのは60歳のときだが、その年齢になっても新しい技術を学んで取り込むことに貪欲(産婆が助産婦に変わったときに、こちらは技術者なのだから、確かにその名前のほうがふさわしい、と考えたというエピソードも、技術者としての自負にあふれている)だ。

したがって、まとめ方はごちゃごちゃしているが、その時代、その時代に、何があって、それによって何を変えるか、あるいは捨てるか、といった流れが明晰に語られているために、おもしろいのだ。

で、現在になって、ラマーズ法一択から、さらにいろいろな変化があるけど、1990年(72歳)には廃業。

ただ、例のあれだなぁとも考える。

助産婦さんは結局、技術者で、それはつまり、個々の個人の腕前に相当依存する。

それに対して、医療としての出産を支えるのは個々の技術者ではなく、マニュアル化された技術そのもので、比較的安定した結果となるし、緊急時の対応にも強い。

両者が出て来たから、大量向けの安定した(しかし満足度が低くなりがちな)製品と、(前者によって低品質なサービスはふるいにかけられた結果、残れたものは)ごく少量出荷可能な個人技量による高品質な(というよりも満足度を高めやすい)製品を選択できる。

と、1900年代の技術、経済、政策、性差など、いろいろな切り口から読める興味深い本だった。


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